何もしない休日

 というのは、何も「しなくていい」という意味ではものすごく快適だ。だから私などはしばしば予定をつくらずそれを無思考に歓迎してしまう。だけど鬱屈した月曜日が訪れたときにはたいてい「なにかするべきだった」と後悔することになる。時間は有限で、平日中に好きに使える時間などほんのわずかである。どんなにへばっていてもなにかしなくちゃならないし、どんなにくだらない用事でも作り出さなくちゃならない。寝だめしてごろごろしてはい終わりじゃ勿体ない。それで1週間分の元気が充填できるならいいが、たいして体力は回復しないしなにより後悔の念に苛まれて精神的にもよろしくない。

 しかしながら根っからのものぐさにとって、たとえそれが楽しいことであっても、しなくていいことをやるというのはそれ自体疲れることである。そんな性質にもかかわらず、充実した休日を過ごすことで心地よい疲れを得ることが求められていると理屈の上では考えてしまうのだ。体力的な問題については、ちゃんと食べてちゃんと夜寝てさえいれば、よっぽど過酷な状況を乗り越えた後でもない限りことさら休日だからといって特別なことをする必要はない。充実した体験とともに蓄積されるよい疲れを拒んではいけない。

 それでは充実した体験とはなんだろう。もちろん人それぞれなわけだけど、私の場合はなんだろう。最近そこがはっきりしない。趣味に打ち込んだり、やりたいことのために勉強したり、時には家族と過ごしたり。ちゃんといろいろやっているつもりだけど、なんだかそれさえもひっくるめて生活がルーティン化してしまっているみたいで時折もやもやする。

 まあ楽しいとき楽しいのは事実だからそう深く考えても仕方ないけど、もっと夢中にのめりこめるものがあると違うんだろうなあ。